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高野山真言宗の総本山の「奥之院」での納骨!

納骨

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高野山真言宗の総本山の「奥之院」での納骨!

山上の聖地!念願の高野山を堪能(^^♪

このブログで、以前からまだ行けていない場所のひとつである「高野山真言宗の総本山」を仕事も落ち着いてやっと行くことができましたので、その様子をお伝えしていきます(^^)

 今回は車で吹田市から近畿自動車道から阪和自動車道経由で山の中をくねくねドライブしながら向かいました。

車で行かれる方は、この高野山の西の入口にそびえ立つ高さ25mの巨大な楼門「大門」をまずは見落としてしまうのでは?

これを見過ごすわけないですか。いや、クルマで向かっていたら、この看板に目が行ってしまって最初気付かなかったのです(._.)

しかも車を停めるところがなく、早く「金剛峯寺」を!みたいな気持ちでこの大門見落としがちなのは私だけ。

和歌山県公式観光サイトより

こちらの西の大門からではなく、反対側の、328mの高低差である高野山駅と極楽橋駅を約5分で一気に昇降するケーブルカーに乗りたかったのですが、時間がとにかくありません。半日では絶対回り切れないことがよくわかりました(^^;)

この大門にも、「金剛力士立像」がいらっしゃいます。しかも、国内で2番目に大きい金剛力士立像なんです。ちなみに日本で1番大きな「金剛力士像」は東大寺南大門の「金剛力士像」です。今度、見に行ってきます(^^)

この門をくぐってこそ、やっと高野山観光を始められるわけです!


この地図を見る限り、駐車場は3カ所で、時間がないからここからは車移動で、など計画を立てないと。

まずは「金剛峯寺」の近くの無料パーキングに停めて徒歩で移動します。このピンクの四角で囲まれた名所は周りたいところです。「金剛峯寺」付近→「壇上伽藍」→「奥之院」の順です。この三つの移動は時間がないので車で行きます。

高野山内の中心的寺院「金剛峯寺」を参拝

金剛峯寺の近くのパーキングに停めました。おいしそうな屋台があるから後で食べるとして。

金剛峯寺の歴史を伝える門に到着です。

まずは身を清めてからですね。

奥の正門は金剛峯寺で最古の建物です。延宝8年(1680)に再建され、正面入り口は、かつては皇族や高野山の重職のみが出入りを許されたとのこと。今も一般の僧侶は右手にある小さなくぐり戸を使って出入りするみたいです。

こちらは「主殿」です。もとは豊臣秀吉が母の菩提を弔うために建立した建物で、高野山真言宗管長である金剛峯寺座主の住まいともなっている。

左の屋根に桶があります!火災が発生したときに桶の水を撒いて屋根を湿らせ少しでも火災を防ぐようになっているそうです。天水桶(てんすいおけ)というみたい。

この屋根がいい感じですね(^^ 檜の皮を何枚も重ねた檜皮葺(ひわだぶき)になっているとのこと。

高野山真言宗金剛峯寺公式サイトより

主殿の横を歩いていくと鐘楼があります。これは、金剛峯寺の前身である青巌寺の鐘楼ですとのこと。

青巌寺ってなに?調べてみると、1869年に青巌寺と興山寺が合体して、金剛峯寺になったんですって。

主殿の右側に小玄関がありそこが入口みたいです。テントがあり、靴脱いで入ります。

入って少し階段あがると受付があります。共通内拝券を買ったほうが、エコバックからいろいろ特典がついてくるみたいなので買います(^^♪弘法大師御生誕1250年記念の散華や稚児大師屏風など頂きました。参拝証首にぶらさげて全部顔パスできます。

この順に拝観します。

中には「大広間」や「持仏間」があり写真撮影が禁止されていて、案内立て札しか撮影できません(*_*; 

高野山真言宗金剛峯寺公式サイトより

この辺は撮影してもいいみたい。

ちらっと後ろに襖絵が映っていますけど大丈夫ですよね(^^;)

とにかく中が広い!そしてお香の匂いが癒される(^^♪

台所は撮影してもいいみたい。

撮ったらダメなスペースでしたっけ?「新別殿」では今、映画で話題の「共に生きる」の「書家 金澤翔子 個展」が開催されていました!

ここが「蟠龍庭」(ばんりゅうてい)。新別殿と同じく、弘法大師御入定1150年・御遠忌大法会の際に造園。

 タモリさんもロケしています。2017年9月9日にNHKで放送されたみたいです。この放送で高野七口という7つのルートがそれぞれぞの地域から高野山に行くことができたそうです。放送では、弘法大師様も実際に歩いただろうと言われている高野山への正式な参詣道を紹介しています。

いや、私、まったくご利益も何もない拝観をしています。車で移動とかもってのほか(*_*; また年老いたら、改めて、白装束と杖で参拝しましょう(._.)

 受付では西国33の御朱印帳の後ろの方に番外で金剛峯寺の御朱印を墨書してもらいました(^^)

高野山 大師教会本部

高野山大師教会本部に到着。

こちらが受付ですね。

こちらが大師教会大講堂は、大正14年(1925年)高野山開創1100年記念事業で建設されたもので、本尊は弘法大師、脇仏は愛染明王、不動明王が祀られています。

堂内がめっちゃ広い!

先程の張り紙に書いてありました。上の方の欄間には弘法大師の生涯を描いた「弘法大師行状絵図」全26枚が掲げられています。

こちらは「教化研修道場」です。昭和57年創建の入母屋造りで、真言宗の各種研修会や講習会が開催されています。

一般の方でも受戒や写経などが体験できますが、今回は何も体験せず(._.)もっと時間がある歳になったら改めて受けにいきます。

奥には授戒堂があり、菩薩十善戒(日常の生活の中で実践する仏教的規範)を阿闍梨(あじゃり)から直接授かり、法話を聞くことができます。

大師教会の向かいには「高野山デジタルミュージアム」があります。高野山にちなんだVRシアター、カフェ、ショップが併設されている文化複合施設です。

なかには「高野山cafe雫」があって、何か注文すればよかった(^^;)

高野山で最初に開かれた場所「壇上伽藍」

次は「壇上伽藍」に到着。ここが入口で「中門」という。聖俗の結界を守る門で、高野山開創1200年の記念事業として、2015年に172年ぶりに再建されたそうです。

文政2年(1819)造立の多聞天像と持国天像、平成27年(2015)造立の増長天像、広目天像の四天王像が安置されています。

持国天像
多聞天像

この下の広目天像と増長天像の二つはめちゃ最近造立されたってことですか?確かに新しさというか前のお二人と古さが全然違いますね。

増長天像
広目天像

こちらが「金堂」。ここでは高野山の総本堂として重要な儀式がほとんど行われるそうです。

もう!また撮影禁止(*_*; 撮りたい!外から無理やり撮影(*_*; このお厨子に納められているご本尊は「薬師如来像」です。この手前のお内陣には色鮮やかな仏様たちが鎮座しています。

写真に写ってないけどリストアップしておきます。

  • 虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)
  • 金剛王菩薩(こんごうおうぼさつ)
  • 不動明王(ふどうみょうおう)
  • 降三世明王(こうざんぜみょうおう)
  • 金剛薩埵(こんごうさった)
  • 普賢延命菩薩(ふげんえんめいぼさつ)

細かいとこまで観察すると、趣きがありますね。

こちらは「大塔の鐘」です。直径2.12メートルの大鐘で、現在のものは1547年につくられました。毎日、午前4時、午後1時、午後5時、午後9時、午後11時の5回打ち鳴らされ山内に時刻を知らせています。鐘の数は5回合わせて108となっています。

ちょうど僧侶さんが鐘を鳴らす時刻でした(^^♪

こちらが「根本大塔」。真言密教の世界観を表す重要な建物です。

お内陣には「胎蔵界」(大日如来像)が安置され、その周囲には「金剛界」の4仏が安置されています。

「金剛界」の4仏

  • 無量寿如来像(むりょうじゅにょらい)
  • 宝生如来像(ほうしょうにょらい)
  • 不空成就如来像(ふくうじょうじゅにょらい)
  • 阿閦如来像(あしゅくにょらい)

こちらは国宝の「不動堂」

この不動堂は、元来高野山への入口である高野七口の一つ、不動坂口の女人堂から下った付近である一心院谷に建てられていたが、明治41年に行われた解体修理の折に壇上伽藍の現在位置に移築されたとのこと。

「大会堂」 鳥羽法王の皇女である五辻斎院親王というお方が、父帝の追福のため建立されました。

大会堂

「東塔」 大治2年(1127年)、白河院の御願によって醍醐三宝院勝覚権僧正によって創建されました。

東塔

「愛染堂」 建武元年(1334年)、後醍醐天皇の綸命によって四海静平、玉体安穏を祈るために建立されました。

愛染堂
孔雀堂

こちらが「西塔」。根本大塔と一対をなすもので、大師がしたためられた図記に基づいて887年に建立されたのが最初で、五間四面、高さ約27メートルの多宝塔です。

准胝堂

こちらが「六角経蔵」。普通の大人1人の力では回せなかったです(._.) 鳥羽天皇の皇后であった美福門院が天皇の菩提を祈るために、浄写された一切経を納めるために建てられたのが六角経蔵の始まりであり、平安時代後期の1159年に建てられました。

少し高くなっている基礎の上に把手がついていて、ここを力で押すと回転します。 時計回りで一回りすると一切経を読んだのと同じ功徳を得られるとのこと。


弘法大師の御廟を祀る聖地「奥之院」

 金剛峯寺から歩いていくとなると、普通、「一の橋」の入口から参拝するのでしょう。バス停でいえば「奥の院口」。が、しかし無料パーキング求めて駐車場に停めていきましたので、この入口は「奥の院前」というバス停の向かいにある場所となります。観光ルートとしては、歴史上の人物の墓を見るなら、「一の橋」(バス停:奥の院口)からですね。企業の慰霊碑を見るなら、「中の橋無料駐車場」(バス停:奥の院前)から入ればいいと思います。

やはり手水舎にて身を清めます(^^)

山内は祈りの場なので静粛にしないといけないのです。奥の院参道の御廟橋から奥は撮影禁止です。

反対の一の橋から御廟までは片道約1.9kmあります。帰りはこちらの道に行きたいところです。「織田信長供養塔」と「豊臣家墓所」は有名ですね。他にも「石田光成供養塔」「武田信玄・勝頼墓地」、上杉謙信・景勝霊屋」などのお墓があります。

奥之院参道では、歴史上の人物や全国各地の大名、有名企業が建てた供養塔などが立ち並び、その数は20万基以上といわれています。

こちらの「奥之院御共所」で御守などが購入できます。そして、せっかくなので西国の番外に奥之院の御朱印も墨書してもらいます(^^♪

こちらが「御廟橋」です。36枚の橋板と橋全体で金剛界三十七尊を表しています。橋板の裏には諸尊を表す梵字が刻まれているのです。

御廟に向かう際には、この橋の手前で立ち止まり、一礼をしてから渡るのが習わしとなっています。

ここからは撮影禁止です。

地図で確認するしかないですね(*_*;

少し歩くと「燈籠堂」に到着。燈籠堂は弘法大師の御廟を礼拝するお堂で、堂内には2万基以上の献灯と正面には1000年以上燃え続けている「消えずの火」が奉納されているそうです。

受付で係りの方に納骨の流れをお聞きしました。こちらの申込用紙にご戒名をご記入くださいとのこと。納骨申込み用紙に施主の氏名・住所・連絡先その他、戒名(ふりがなは必ず確認してください)・俗名・命日・行年を記入します。

記入例に釋〇〇って書いてありますし、宗旨や宗派を問いません。故人の遺志を尊重した上で、ご家族でよくご相談されてからお決めください。とのことです。

 現在のところ、火葬埋葬許可証は必要ないそうです。

公式WEBサイトに「お知らせ」が2020/3/23の日にちでありました。

【再掲】奥之院 燈籠堂 納骨料変更のお知らせ

この度、奥之院燈籠堂の納骨料を、下記の通り変更いたします。

納骨料 分骨1霊につき10万円
期 日 令和2年4月1日から

現在、高野山 奥之院 燈籠堂にて御供え頂いております納骨料は、分骨1霊につき5万円でございますが、時代の趨勢を鑑み、今後納められる亡き方の尊厳護持の為、また悠久の過去より高野山にて供養せられるご先祖様の森厳護持の為、分骨1霊につき10万円へ変更いたします。尚、全骨の納骨は承れませんので、予めご了承下さい。ご参拝者様には、ご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。 合掌

このように記載されています。

受付で料金をお納めしたら向かって一番左側(奥側)に進んで靴を脱いでお内陣のほうへ入れる入口がありました。そちらで納骨の読経供養を約1時間賜ります。そのあとで係りの方と一緒に、燈籠堂の左側の縁側から外に出て、納骨堂に行きお骨を堂内にお納めするところまで立ち会ってご納骨終了です。

この納骨堂の先に、燈籠堂をぐるっと回ってちょうど本堂の真後ろに参拝できる箇所があります。これこそが承和2年(835)に永遠の禅定に入られた弘法大師様の御廟なのでしょう。大きなお線香をお供えし、けっこうな時間を黙念しました。

そろそろと立ち上がって、奥へぐるっと歩きます。見落としやすい地下があります。燈籠堂の右側にあります。地下の一番奥では弘法大師様の数珠と金剛杵(こんごうしょ)に触れることができます。弘法大師様に一番近いのがこの場所です。数珠と金剛杵に触れたあとに「南無大師遍照金剛」(なむだいしへんじょうこんごう)を3回唱えます。

ちょっと雨も降ってきて気温が下がってきました。この休憩所に立ち寄ってみたら、一番奥に暖かいお茶がもらえる窯がありました(^^♪

この「奥之院」の参道は杉木立がずっーと並んでいて本当に空気が澄んでいて歩いていて気持ちよかったです(._.)このほかに行けていないところはというと…。ちょっと時間もなくなってきました。急ごう。


「刈萱堂」に到着しました。

「刈萱堂」 苅萱道心(かるかやどうしん)と石道丸(いしどうまる)の話は、悲話として広く知られています。このお堂は苅萱道心が出家し、実の子である石道丸とともに父子を名乗ることなく仏道修行に明けくれたと伝えられています。

刈萱堂

高野山の貴重な寺宝が収蔵されている「霊宝館」

この高野山に点在する各寺院が有する膨大な量の文化財(国宝や重要文化財を含む)を保存・展観するのが「高野山霊宝館」です。大正時代の建造で建物内部の装飾は登録有形文化財です。

写真撮影は禁止(*_*; この中に絵画、彫刻、工芸品、書跡などが約10万点(国宝や重要文化財などの指定文化財約2万8000点を含む)が収蔵されています。

鎌倉時代の「阿弥陀如来像」が安置されていました。他には「弘法大師坐像」、「両界曼荼羅図」もあります。この両界曼荼羅図は血曼荼羅と言われています。平清盛が大塔の修理を行った際に、金堂に奉納した曼荼羅図で、胎蔵界大日如来の宝冠は、絵具に清盛自身の血を混ぜて描いたといわれています。

この霊宝館はかなり見応えありました。

昔の小学校の廊下にも見えますが、これは霊宝館の新館へ向かう渡り廊下です。せっかくなので、こちらのお手洗いを使わせて頂きました。ここは普通のトイレだったと思います。

今は6月なのでピンクのエリアのこのような文化財が展示されています。


徳川家霊台

「徳川家霊台」に到着しました。徳川家霊台とは、徳川家康と秀忠をまつる東照宮です。

この場所は本来、聖派(ひじりは)の代表寺院である大徳院の境内だったのですが、大徳院自体は明治になって他の寺院と合併して現存しませんので、霊台だけが残りました。


 他にも全然周れなかったところがありますが、今度来たとき、レンタサイクルでも借りて周ろうかな(._.) あくまでも歩いて参拝しないという気でいる(^^;)


高野山の各寺院が立ち並んでいます。

 力尽きました。「女人堂」はもう諦めます(*_*; ちなみに「女人堂」は、高野山へ入れない女性のために建てられたお堂らしいです。参拝に拝観料は必要ありません。

上記で記載したブラタモリでの内容に補足。かつて、高野山へは7つの入口があり、それぞれにお堂が建てられ、女性は離れたこの地から念仏や修行を行っていました。現在、残っているのは女人堂だけとなっているそうです。


終わり

あ、屋台で食べるのも忘れてた(*_*  帰りの車で山道を大阪方面に走らせます。何か食べたい!と思い、最後に横切った山道の中のお店に。「やき餅」ののぼりが立っていたので、買いました(^^♪これがめっちゃおいしかったです!


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