東淀川区豊里 「定専坊」というお寺の納骨堂を見学!
納骨
東淀川区豊里の「定専坊」というお寺
先日、紅葉山会館でご葬儀をして頂いたお客様がご契約されたご納骨場所が気になったので取材してきました(^^
大阪府東淀川区の「豊里」に浄土真宗本願寺派「定専坊」(じょうせんぼう)さんがございます。吹田の方には馴染みがないかもしれませんが、到着してみると閑静な住宅の中に立地して駐車場もお参りの方のために2~3台ありました。
アポイントもとらずに突然お伺いさせていただいたにも関わらず、ご住職がすごく優しく丁寧にご対応してくださいました(^^♪
パンフレットを頂きました。表紙がこちらです。
2ページ目はこんな感じです。
定専坊へのご納骨をご縁として
近年、人々の暮らしや家族の生活スタイルも様変わりし、お墓に対する価値観や相続に関する考え方も変わってまいりました。そのようななかで、お寺へのニーズも変化しているようです。「お寺さんがお墓を護ってくれはったらええのになぁ」これは、奥様がご往生なされたあるご主人のお言葉です。
「時代に即した寺院運営を」との想いから、平成28年(2016)6月に納骨堂を、その翌年には合祀墓を建立いたしました。
定専坊では納骨のご縁として、より多くの方々にお寺に親しみをもっていただき、先祖を偲び、日々の暮らしのなかで手を合わせ、心豊かに歩んでいただくことを願っています。
定専坊パンフレットより
3ページ目です。
山門をくぐると、本堂があります。
本堂もきれいです。
お内陣はパンフレットをご参考に。
本堂の右奥から通路になっていて、進んでいくと、ちょうどご本尊の真後ろに納骨堂があります。
トイレもきれいでした(^^
奥にたどり着くと、納骨堂がありました。まだまだ新しい新築の匂いがしますよ。ここで、ご住職に読経して頂き、納骨が行われるのでしょう。
この奥にスペースがあり、納骨ができます。
こちらの納骨堂がいっぱいなりつつあるので、隣のスペースに納骨堂を増築するための工事が行われていました。
こちらが2017年に建てられた「合祀墓」です。
納骨の料金表
パンフレットを頂いたので価格がわかる料金表をみてみましょう。
石山本願寺と定専坊
定専坊さんの歴史に触れてみたいと思います。あまり詳しくお聞きできませんでしたので、パンフレットを参考にします(^^;)
当山は、行基菩薩の手によって創建され、真言宗に属して「西光寺」と呼ばれていました。南北朝時代の建武三年(1336)、湊川の戦いに敗れた楠正成は自刃しますが、その孫であった二郎右左衛門尉正勝がこの地に隠棲しました。今境内に伝わる五輪塔は、正勝公とその子正盛、信盛両公を偲ぶものと言われています。その後、本願寺第八代門主蓮如に帰依した住職浄賢は浄土真宗に改宗し、寺号も「定専坊」に改めました。以降本願寺と強い絆が築かれていきますが、浄賢の孫了賢の時代に石山戦争「元亀元年(1570)~天正(1580)に石山戦争が起こります。講和によって戦いが終結した直後、石山本願寺は信長によって火を放たれ、三日三晩燃え続けました。
そのとき本願寺から運び出されたのが当山の「梵鐘」で、天正時代の鐘声を響かせつつ、今に伝えています。
定専坊パンフレットより
楠正成公の孫正勝ゆかりの寺院でもあり、正勝公親子の五輪塔が今に伝えられています。
蓮如上人が御往生(三月二五日)なさる約一箇月前の、二月一八日に蓮如上人は三番(さんば・現豊里)の地にある定専坊を訪れ、住職である浄賢に対して親鸞聖人がお取継ぎくださった「お念仏」の肝要は『御文』に書き残したと言い残されています。このようなことから、定専坊は蓮如上人最後の御旧跡であると考えられています。
定専坊パンフレットより
最後にパンフレットに記載されているQ&Aや納骨の流れを記載しておきます。とても優しいご住職と奥様でした。突然の訪問にも気さくに丁寧に対応してくださいました(^^♪
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